郡山城は1580年筒井順慶の築城に始まる、大和で最も大きな城郭で、その後豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。城郭は徐々に整備され豊臣秀長の時代にはほぼ完成したとされています。
大納言豊臣秀長は、商工業保護の政策として同業者を町に集め、営業上の独占権を認める箱本十三町を造りました。その運営は十三町の当番制の自治で、当番の町は特許状の入った朱印箱を置き、「箱本」と染めぬいた小旗を立て、1ケ月全町の治安・消火・伝馬の世話をしました。現在も「茶町・塩町・豆腐町」などの十三の町名や、江戸・明治初期の歴史的建造物がこの地区に多く残っていています。紺屋町では当時藍染め商人が染め物を晒すために使った水路が今も道の真ん中を流れ、城下町の風情を残しています。